御茶ノ水から聖橋を渡ると湯島聖堂と神田明神がある。静寂と喧騒が道路ひとつを隔て存在する

神田明神と湯島聖堂   

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◆ 令和4年(2022年)・新年の東京 ◆

2022年1月5日(水曜)の東京・神田界隈と東京・丸の内


◆ 神田明神 ◆


神田明神正面(左側が甘酒の天野屋)


桃山風の隋神門


神田明神・御社殿(2022年1月5日 pm3:00頃)


◆ 湯島聖堂 ◆


仰高門(ぎょうこうもん)


唯一江戸時代の建物が残る入徳門と杏壇門


孔子と四賢人を祭る大聖殿(土・日曜・祝日に開廟)


◆ 東京・丸の内 ◆


東京駅・丸の内


丸の内・仲通のシャンパン・ゴールド



◆ 神田明神と湯島聖堂 ◆

御茶ノ水から聖橋を渡ると湯島聖堂と神田明神がある。
江戸の静寂と喧騒が道路ひとつを隔て存在する。
(2020年1月10日)



江戸総鎮守 神田明神

江戸時代初めには江戸城の鬼門除けとして尊崇され、
神田祭の山車は将軍上覧のために江戸城中に入ったので、
一名天下祭とも言われた。
「神田囃子」は無形文化財に指定されている。
創建は天平2年(730年)とされ、すでに1275年以上の歴史がある。
現在の祭神は3柱で序列は、
一ノ宮は大己貴命(おおなむちのみこと)で、別名を大国主命、大黒様という
二ノ宮は少彦名命(すくなひこなのみこと)で、別名を恵比寿様という
三ノ宮は平将門神で、「弱きを助け、強きを挫く」神様として崇拝されている。




豪華な桃山風社殿  神田明神 隋神門(昭和50年再建)

総朱漆塗り 神田明神 御社殿(昭和9年再建) 朱塗り 入母屋形式 神田明神 鳳凰殿
元日から3日間、神田囃子(無形文化財)と獅子舞が行われ境内は正月の雰囲気一色に

境内の大黒様像と知恵の輪に結ばれたおみくじ 大黒様にお払いを受ける人たち

だいこく祭:令和2年1月18日(土曜)・19日(日曜)。
神田明神のご祭神・だいこく様により福がもたらされます。
・寒中禊がまん会  16日(土) 10時〜   ・四條流庖丁儀式  19日(日) 正午〜

境内の恵比寿様像

海の仲間(イルカやタイやトビウオ)に守られて
木の葉に乗って大海原を渡られる
『えびす様』のお姿が造形されている。
銭形平次の碑

野村胡堂の名作「銭形平次捕物控」の主人公。
昭和45年12月、縁りの明神下を見下ろす地に
底辺を寛永通寶を形どって建立された。


神田明神末社の魚河岸水神社と日本橋際・乙姫広場にある日本橋魚市場発祥の地の碑

魚河岸の創設者森孫右衛門の子孫(佃島)によって江戸時代初期に、
大漁と海の安全、ならびに徳川家の武運長久を祈願して創建された。
日本橋の地を発祥とするとする築地魚河岸会、
その人々の守護神として篤いご信仰を集めている。
江戸時代には日本橋に魚市があり、初鰹の争奪戦が加熱していた。



史跡 湯島聖堂
(孔子廟と昌平坂学問所跡)



道路ひとつで神田明神の派手と喧騒の江戸を離れ
都心に残る静かな環境、
緑に包まれた石畳や石段、唐風の門、大成殿
湯島聖堂には静かな江戸が今に残る。




入徳門は1709年(宝永元年)に建てられた、切妻造りの木造門である。


入徳門は聖堂内唯一の木造建造物で、江戸官学・朱子学の影響を受けた貴重な文化財となっている。




唐風の杏壇門と孔子を祀る大成殿(昭和10年再建)


大成殿は黒色エナメルペイント塗りで、屋根は入り母屋造り両端に青銅製の鬼\頭・鬼龍子(2)が置かれている。




大成とは、孔子廟の正殿の名称。土・日曜・祝日に開廟される。



殿内、中央の神龕(厨子)には孔子像。左右に孟子、顔子、曹子、子思の4賢人を祀る。



湯島聖堂にある世界で一番高い孔子銅像          昌平坂に面して聖堂の静寂を保つ練塀が続く


孔子祭・・・令和2年4月26日(日曜)

湯島聖堂では、毎年4月第4日曜日に孔子祭(釋奠)が行なわれています。


湯島聖堂は、1690年(元禄3年)5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟である。
1632年(寛永9年)徳川幕府の政治顧問であった林羅山が
上野忍が岡(現在の上野公園)に建てた孔子廟「先聖殿」を移築したものである。
綱吉は先聖殿を「大成殿」と改称し、
またそれに付属する建物をひっくるめて「聖堂」と総称した。

林羅山が上野忍が岡に開いていた学塾が、
その後1797年(寛政9年)に湯島聖堂内に開設された
昌平坂学問所(「昌平黌」)の起こりであると言われている。





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