浮世絵に見る江戸時代の風流な遊び。歌川広重。鈴木晴信。葛飾北斎。
鬼平犯科帖の長谷川平蔵や、八丁堀同心の中村主水が生きた時代
隅田川の向島で利用した舟は、
船頭が一人で漕ぐ、小形の屋根つきとま舟。
制度化されたのは江戸時代の末頃
旗本の次・三男が芝居小屋の役者と遊興に乗ったり
大名や豪商が吉原の大夫や柳橋の芸者と興じ
大型の絢爛豪華な屋形舟が生まれた。
隅田川の花火とともに両国橋界隈を往来した。
■江戸時代の屋形船■
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両国橋付近を行きかう屋形船
(鈴木晴信画) |
川辺の吹風に涼を求めて
(三河屋提供) |

江戸末期の花見の屋形船
(落合芳幾画 「隅田川花の賑わい」)
■江戸時代の天ぷら■
鍬形恵斎 「近世職人尽絵巻」(東京国立博物館蔵)
江戸時代の天ぷら屋台。文化3年(1806年)
江戸期の天ぷらは庶民の食べ物であった。
その美味しさを聞いた武士は、顔を隠して食した。
江戸前の海で獲れる鮮魚、
海老・鱚・メゴチ・ハゼ・穴子などの白身小魚が好まれた。
さっくりとした歯触りの衣と、柔らかな魚が
江戸前天ぷらの命、熱いうちに天つゆか塩で食べる。
■江戸時代の屋形船花見■
「名所江戸百景 吾妻橋金龍山遠望」 歌川 広重
隅田川に浮かんだ屋根船、空からは桜の花びらが舞っている。
遠くには左から吾妻橋、その奥に富士山。
そして金龍山(浅草寺)の本堂の大屋根と五重塔が見える。
■葛飾北斎 富嶽三十六景■
武 陽 佃 島

佃島は、昔の面影はないが、現在でもなお隅田河口に小島の形をなして存在している。
寛永年間、鉄砲州の東の干潟、百間四方の地に佃島と名付けた。
漁民らは産土神、住吉神社を分社して宮居を建立した。
■江戸時代の花火■
両国橋の花火と屋形船
■江戸時代の月見船■
「角田川月見船」 鳥居 清長画
■江戸末頃の風景■
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江戸末期の深川・富士見橋付近
左から二軒目が当時の「ふじみ」
(江東区図書館蔵) |
江戸時代末頃の品川浦
(歌川広重画) |
(資料提供 深川 冨士見)